私は随筆を始めることにする。

“私は随筆を始めることにする。”

 私はSNSが嫌いである。
 今に始まったことではない。以前から嫌いだった。なんていうか、全面的に大嫌いであった。生理的嫌悪感というか、まともに受け止めすぎるというか、これはSNSが悪いわけではもちろんなく、私という人間の性格の問題、一身上の都合である。
 ツイッターが始まった時は、一生しないと思っていた。ブログですら、正直微妙だった。繋がりを促す機能など、まっぴらごめんだったからである。大体、「つながり」って?「つながり」って何??と、ささいなことが気になって仕方がない。突っ込みどころが多すぎる。大体、知らない人同士で繋がって何が面白い?お前に私の何が分かるのか?距離感を知らぬ厚かましい人間が増えるだけではないか。
 そういう意味ではリアルしか信じていない私にとって、SNS関係はほぼ、ディスガスティング、の一言で終わる存在である。簡単な話だ。

 だがしかし、現実はそれほどシンプルじゃない。チェコに移住するにあたり、ある程度柔軟になろうと決めたこと、そしてわりと新し物好きでとりあえずアカウント作って試してしまうタイプの人間であったことで、今や意外にいろんなアカウントを所持してしまった。そして、失望した。まぁ、当然、使いこなせなかったのである。
 そして、どれもいまいち合わぬ、どこで何を言えばいいか解らんもはや何も言いたくないいや何かが言いたいのだ私は!とSNS迷子を極めた結果、バックトゥーザベーシックを決め込むこととした。ブログをやるのである。しかもただのブログではない。随筆である。ああ。随筆。これよりしっくりくる単語が未だかつてあっただろうか。
 何を隠そう、生来の随筆体質なのである。イラストレーションを学びにチェコに来て、私がなんとか人と渡り合えるレベルになるのは自分の人生からの実体験ネタものだけだったことに気づいたとき、私はどうやら旅芸人タイプであり随筆タイプである、と理解し、覚悟を決めた。もう怖いものはない。私は開き直って、随筆をすることにするのである。

 齢三十八となり、現実は改めて、私を笑うようになった。これも今に始まったことではない、物心ついた時には現実は私を笑うものであった。そしてその事実は今なお変わっていない。ということは、おそらくこれからもそれは変わらないであろう。社会における「変化」とやらは、おしなべて私を笑うのである。嗤うわけではない、ただ、笑うのである。そして私は、口の端を歪める感じで「同意しない」と言うのである。
 この構図は結局、0歳から変わっていない。母が申すには、0歳の頃、ベビーカーに乗った私を見て女子高生たちが「キャー、かわいい赤ちゃんー♡」と寄ってきたそうだ。自分で言うのも何だが、非常に可愛い赤ちゃんだったので、無理もない。赤ちゃんを見た時のリアクションとして、ごく一般的なものであり、それがどうしたというところだろう。
 ところが、0歳の私のリアクションときたら、それに対し全力で、フガフガ!!!!!と怒った、というのである。
 なぜ0歳の私が怒ったか、皆さんには想像がつくだろうか。私はそのこと自体は覚えていないが、怒った理由は分かるのです。
 「お前ら、私が赤ちゃんだと思ってバカにしやがって!!!テメーラの方が魂年齢ははるかに若造であるぞ!!今は肉体がおぼつかないが、今に見てろこのクソガキどもが!!!」である。
 お分かりいただけただろうか…。え?分からない?じゃあ、仕方ありませんね。あなたには私のことが分からないのです。大丈夫です、分からなくても誰も困りません。そも、「わかりあう」などというものは全てほぼおしなべて幻想であると申し上げて構いません。誰にも真意は伝わらず、歪められ、満足したもの勝ちですから、私は一生勝てないというわけです。

 というわけで、私のかわいげのなさは、0歳から今まで、決して変わることなく貫かれているのである。誰が言ったか三つ子の魂百までとは。うまいものである。感心する。昔の人すごい。

 そんなこんなで、この気の狂った感じの随筆を、しばらくしこしこと書き続けたいと思う。何故って、今、ありていに言ってどん底を生きているからである。え?幸せそうに見えるって?もちろん、毎日毎瞬間私は幸せです。そして、間違いなく幸せであると認識しているからこそ、自分がどれほどの地獄にいるかが明確に理解できるのです。
 次回はたぶんそれについての記述になります。

 このSNS全盛時代に、誰にも伝わってすらもほしくない随筆を、しばらく、書き続けることとします。

            2018年1月3日

 

 

 

P.S. レイアウト綺麗じゃないのですが、多分チェコ戻ってじっくりテンプレいじれる時間が取れるまでは調整無理なので、しばらくこれで諦めておきます。。